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大坂太郎
アッセンブリー・ベテルキリスト教会牧師 日本福音主義神学会全国理事長

神学校の専任教師をしていた頃、「新約関連の科目と聖書解釈学を教えています」と言ったら、「そういう難しいのは牧師向けですね」と言われたことがあります。そうでしょうか。「聖書解釈」は牧師・伝道者の特権ではありません。むしろ私たちキリスト者はみな、聖書のよい読者となるべきであり、それゆえ聖書の正しい読み方(解釈学)について知ることは、キリスト者全員に求められていることだと言っても過言ではないのです。この小文ではヨハネ21・15―22を取り上げ、日本語では見えなくなってしまっている、この箇所のもう一つの解釈の可能性を探りだし、聖書の釈義と解釈の奥深さについて考えてみたいと思います。

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出来事の舞台はガリラヤ湖畔。そこにいたのは復活の主に出会い、一度は大いに喜んだ弟子たちです。しかしどうして彼らは故郷に戻ったのでしょうか。明確な理由を見いだすことは困難ですが、恐らくは経済的な理由であったと思われます。彼らは「私は漁に行く」というペテロの声に応答し、船に乗り、漁を始めました。そのあとの展開はご存知の通りです。不漁。岸辺から彼らに声をかけ、アドバイスをするイエス。服従。大漁の奇蹟。そして場面を岸辺に移し、弟子たちに朝食をふるまうイエスの姿が描かれた後、物語はいよいよ佳境に入ります。
「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか」(15節)イエスはペテロにそう問いかけます。日本語では割に明瞭なことばですが、実はこの箇所にはもう一つの読み方が隠れています。この箇所は英語では“Simon, son of Jonah, do you love Me more than these?”(NKJV)と訳されています。訳せば「ヨハネの子シモン、あなたはこれらより以上にわたしを愛するか」です。しかし“these” とは何ともあいまいです。これでは「これらの人」なのか「これらのもの」なのかがわかりません。ギリシヤ語の代名詞には姓別(男性、女性、中性)がありますから、大抵の場合はその語尾を見れば、それが受けているものが人(男、女)か物かはすぐに見当がつきます。しかしここで用いられている tout?n (それら)は男性、女性、中性ともに同形であり、しかもこの tout?n は意味上の主語にも目的語にもなります。そう考えるとこの十五節には少なくとも三つの解釈が成り立ちます。

①イエスはペテロに「おまえはこれらの人々(=他の弟子たち)がわたしを愛する以上にわたしを愛するか」と言ったという解釈(主要な日本語訳聖書の解釈)
②イエスはペテロに「おまえはこれらの人々(=他の弟子たち)を愛する以上にわたしを愛するか」と言ったという解釈。③イエスはペテロに「おまえはこれらのもの(=ペテロの生活の道具、すなわち、網、船、漁師としてのキャリアなど)を愛する以上にわたしを愛するか」と言ったという解釈。

消去法で考えてみましょう。真っ先に除外できるのは②です。というのもペテロにとって他の弟子たちは「愛の対象」というよりもむしろ「比較と競争の相手」であったからです。そんな彼らの関係をよく知っていたイエスが「ペテロ、キミが彼らを愛する以上にわたし(イエス)を愛しますか」と問うのは何とも奇妙で理にかないません。
では①はどうでしょうか。確かにペテロはイエスに「あなたのためにはいのちを捨てます」(ヨハネ13・37)と言っています。またマタイとマルコの並行記事では実に彼自身が「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません」(マタイ26・33。マルコ14・29参照)と豪語していますから①のように解釈する可能性は十分です。またこれらのことから考えるとイエスが「これらの人(がイエスを愛する)以上に」と言ったのは、ペテロを彼自身の過去と対峙させ、再献身を迫るためであったとも考えられます。
実際にこの解釈から多くの魅力的な説教が語られています。確かに①は最有力でしょう。しかし日本語では、翻訳の時点で除外されてしまった③の解釈にも捨てがたいものがあります。
この見解に立つと、イエスは人間をとる漁師に召されたのに、経済的な理由で魚をとる漁師(!)に戻ってしまったペテロを見て「おまえは網、船、キャリア、そういったものをもう一度捨て、それら以上にわたしを愛するか」と言ったということになります。この解釈は文脈に非常によく調和します。
幸い英語の“these”にはギリシヤ語と同じような意味の幅がありますから、直訳を取ればギリシヤ語本文の持つ複数の解釈の可能性を残すことができます。しかし日本語はそうはいきません(日本語が劣っているという意味ではありません)。「これら」と言えば「もの」を指しますし、「この人たち」といえば「人」になるからです。ですから日本語に訳す時点で①か③のどちらかは捨てられることになってしまいます。「翻訳はすなわち解釈である」ということを表す一例でもあります。しかしある意味仕方のないこととはいえ、翻訳者の判断で「もう一つの可能性」が閉じられてしまうというのはやはり残念です。
考えてみましょう。もし弟子たちのガリラヤ行きが「生活」のためであったなら、彼らはその時点でイエスに従うことを放棄したようにも見えてきます。故郷。そこは「日常」です。そこには穏やかで冒険とは無縁の普通の「暮らし」があります。そしてその暮らしは使い慣れた網や船といった彼らの愛した「もの」、馴染んだ「もの」によって支えられています。
そんな彼らに対し、イエスは敢然と挑戦し、こう言われたと考えることはできないでしょうか。「ペテロ、おまえはまだ世を愛し、その生活を優先するのか。網、船、キャリア、家族……それら以上におまえはわたしを愛し、安住を捨て、わたしに従うのか」と。

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この度いのちのことば社から福音主義に立つ世界中の教会、神学校で広く用いられている『聖書を正しく読むために〔総論〕―聖書解釈学入門』が出版されると聞きました。ぜひご一読くださり、正規の聖書解釈の原則と方法に触れていただきたいと思っています。聖書を単なる人生のマニュアルや規則集のように読むだけではなく、聖書自身が本来期待しているであろう読まれ方にそって聖書を正しく読むことにより、いのちのことばに触れ、真の信仰心を涵養していただきたい、そう願ってやみません。

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1 序論――解釈の必要性
2基本的に必要な手段――良い翻訳
3 書簡――文脈を考えることを学ぶ
4書簡――解釈学的問題
5旧約聖書の物語文――それらの正しい用い方
6使徒の働き――歴史的先例の問題
7福音書――一つの物語、多くの側面
8 たとえ話――ポイントをとらえられるか
9 律法――イスラエルへの契約規定
10 預言書――イスラエルにおける契約の施行
11 詩篇――イスラエルの祈りと私たちの祈り12 知恵文学――当時と現在
13 黙示録――さばきと希望のイメージ

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